2010年7月12日月曜日

私の戦争体験――家族から聞く戦争体験②

N.K 1979年長崎生まれ。
大学、大学院修士修了後、高校英語教師を経て、現在雑誌編集者。

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私の戦争体験――家族から聞く戦争体験①については、
寡黙な祖父は一切語らなかったので、
すべておしゃべりな祖母から聞いた話だ。

「門司に疎開したので、犯罪ばかりしていた朝鮮人には好感が持てない」
「この医療費の安さ(原爆手帳使用時)、原爆さまさま」
「最近の若者は気概がないから、やはり徴兵性が必要ではないか?」

など、過激な発言を度々する祖母だが、
当の被爆者が「原爆さまさま」など言うのならば、
まさに「しょうがない」わけである。

祖母は、
直接被爆ではなく、入市被爆です。
被爆にもこの二種類がある。
前者は、直接爆撃を受けたケース、
後者は、被爆後の市内に入ったケース。
後者の場合は、厳密には「被曝」かもしれません。

「被爆者認定」というのは、
割といい加減なものらしく、
自己申請で、簡単に被爆手帳がもらえたようです。
被爆後の市内に入ったかどうかなんて、
確かに自己申請以外に証明されません。

この被爆手帳、
医療費が基本的に無料、
入院費や老人福祉施設も2割負担ということで、
かなりの負担を国がしているわけです。
これをもらえるか否かで大分違います。

例えば、老人ホーム費は、
通常だとひとり月18万円ほどかかるところが、
被爆手帳有りだと2万円負担になるわけです。

金銭面だけ見るならば、確かに「原爆さまさま」です。

被爆手帳を持てない人、
たとえば外国人被爆者のケースです。
被爆したのは、何も日本人ばかりではありません。
戦争捕虜だった、連合国米国、オーストラリア人や、
強制連行していた中国人、朝鮮人の存在もあるわけです。

そういった人々は、
当然ながら、日本国からの保障は何一つないわけです。

特に朝鮮人は、
大量強制連行されており、
軍艦島ブームで知られている、
端島で炭鉱員として労働していたわけです。
それで被爆したのだからたまらない。

これこそもう一つの「被爆」です。

こうした話を、
ポツリポツリ祖母から聞いたことがありますが、
今度帰省した時は、音声レコーダーも使って、
じっくり、〈戦争の記憶〉を記録したいと思う。

(つづく)

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