2010年7月6日火曜日
小川和也著『大佛次郎の「大東亜戦争」』(講談社現代新書、2009年)
大佛次郎、
若者が「ダイブツジロウ」と呼ぶことで知られる大衆作家である。
「鞍馬天狗」シリーズなど、若者が知るはずがない。
役者のエノケンもアラカンも知らないのだから。
アラカンといったら、around 還暦(60歳前後)のことだ。
そもそも、別に知らないでもいいわけだ。
年寄りが知らないようなことを若者はたくさん知っているのだ。
私はなぜ大佛を知ったか。
ある司書の方とのやり取りの中でこのようなものがあった。
――『鞍馬天狗』の本名を知っていますか?
――知りません。
――倉田典膳です。私は以前から、
このことを倉田という姓の方に会ったら伝えたかったのです。
袖振り合うも多生の縁。
こうして『鞍馬天狗』シリーズを繙くことになった。
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大佛は大東亜戦争とどう向き合ったか。
体制にすり寄り、天皇万歳を高々に唱えた御用作家、
あくまでも体制に反旗を翻し、反戦を唱えた左翼作家、
大佛はそのどちらでもなく、またそのどちらでもあった。
加藤周一が言うように、戦中戦後の知識人には、
「戦争協力opportunist、反戦主義者、どちらでもない第三系がある」
のであり、第三系こそ大佛を形容するのにふさわしい。
大佛が追い求めたのは自由主義であって、
思想・言論弾圧を何より敵とした。
大佛は、当初、左翼の最前線の雑誌『改造』に投稿する。
この雑誌は、細川嘉六も寄稿しており、
日本最悪の言論弾圧事件である横浜事件の端緒となった前衛雑誌である。
当然大佛も、当局の監視下に入る。
大佛は『ドレフェス事件』『ブゥランジェ将軍の悲劇』など、
得意のフランスを舞台としたノンフィクションを書き、
軍国主義に対する文学的抵抗を示した。
外国の一事例として、我関せずとしらをきるのである。
青年期の大佛の思想形成に影響を及ぼしたのは、
日本では、吉野作造、河上肇、有島武郎、
海外では、クロポトキン、ラッセル、トルストイ、
典型的な左翼ラインであるが、
当の本人は、プロレタリア文学や左翼に対して一線を画した。
労働者と資本家、反体制と体制、単純極まりない二項対立に、
自らを投じることは、その自由主義が許さなかったのである。
また、大佛の文学は大衆文学というレッテルを貼られ、
純文学を自称する文学者からは冷ややかな目で見られた。
しかし、大佛は大衆文学という立場を進んで受け入れる。
「純文学が人間の心の内部の世界を掘り下げて行くのに対して、
大衆文藝は人間の外部の世界を、人と人との交渉、延いては
一つの社会の構成なり動向を、伝統的な小説の形で書く」(P56)。
大佛の目は、絶えず大衆に、
蒼氓、くさたみに注がれている。
そんな大佛に転機が訪れる。
文藝銃後運動の一環として、満州、朝鮮を皮切りに、
北京、宜昌、南京などを訪れるのである。
文藝銃後運動とは、従軍作家として活動することである。
一部の行程、菊池寛、久米正雄、小林秀雄なども同行した。
ついに、大佛のペンが戦争に動員されるわけだが、
ここで、絶えず大衆に注がれる大佛の目がその本領を発揮する。
皇国のために命を賭して戦う日本兵に感情移入していくのである。
そして、大佛は筆をもって戦争協力を始める。
評論「北京の風」以下の執筆である。
ただ、「大佛の戦争協力は、時流に流された結果でも、
国策を鵜呑みにした結果でもなかった。大陸において
自分の目で見、自分では体験したことにもとづいたもので
主体的な選択だった」(P144)。
たとえ、国策にのっとったプロパガンダ評論を
内地の日本人に送っていたとしても、
決して軍部の傀儡になるのではなく、
自らの意志で最前線の兵に思い入れを持ち、
極力真実を歪めない形の評論を書き記すのである。
これは確かに戦争協力である。
果たして当時、どれだけの人間が戦争不協力であったか。
戦前も戦後も、鞍馬天狗は一貫して反体制であり、
徒党を組まず、自らの信念を守って譲らない自由主義者であった。
戦後、大佛は急激に保守化する。
「真の保守主義conservatismとは、ある価値を選択し、
その保全conserveのために、人格をかけて譲らず貫きとおす
ということである」(P280)。
「大佛は戦後も続く大勢順応・集団主義のなかで、
自由主義を選び取り、貫こうとした」(P280)のである。
戦前には左傾化、戦後には保守化。
どうもあべこべである。
すべては大勢順応・集団主義への「反体制」であろう。
こうした大佛のような第三系は、
戦争協力者からも反戦主義者からも評価されず嫌われる。
たしかにいささか日和見主義的である。
では、他ならぬ私はどうであろうか。
戦争がやってきたら、どのような「行動」をとるか。
やはり第三系的だと思う。
真っ向から逆らうには勇気がないし、潰されることは目に見える。
かと言って、すべて首を縦には振れない。
おそらく、うまく追従したふりをしながら、
何とかやり過ごそうとするのではないだろうか。
その中でも、何らかの形で「反抗のしるし」を残すはずである。
その「しるし」は、後世の人々の魂を励ますのではないだろうか。
戦後、終始孤独で厭世的であった大佛は鞍馬天狗に言わせている。
「ほんとうの話が、俺は瓦解以来、人間に愛想が尽きかけている」。
思えば戦後65年、
自由をはき違えた放埓な新自由主義が世界を席捲し、
日本の土壌・伝統を流し去ってしまったようである。
〈戦争の記憶〉もまた、流されるのだろうか。
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