2011年5月29日(日)、
立花隆(本名・橘隆志)先生のお母様、
「橘龍子さんを送る会」がありました。
場所は、神楽坂・出版クラブにて。
葬儀はすでに、5月上旬にキリスト教式でされたようでした。
立教立花組の皆さんとも再会できました。
龍子さんは、
自由学園の創始者・羽仁もと子を支持したクリスチャン。
ちなみにお父様・橘経雄さんは、無教会・湖北集会の会員。
どちらも、日本独自なキリスト教のあり方です。
羽仁もと子創刊の『婦人の友』友の会を中心とした
メンバーが、主に会に来られていたと思います。
会は、自由学園らしい型にとらわれないあり方で、
ドレス・コードも「明るい服装」とのことでした。
場所が出版クラブというのも「らしい」です。
素敵な会でした。
会の最後に、立花先生を含む、
3人のご子息がご挨拶をされました。
「3人が3人とも洗礼を受けていない」ということを、
お兄さんの弘道さんが強調されていました。
クリスチャンファミリーが子どもに受洗を強要しない、
というのは、かなり知的で、子どもの自由を重視する、
洗練されたあり方だと思います。
(私は生後1ヶ月の受洗でした。幼児洗礼ではなく、嬰児洗礼です 笑)
■印象に残ったことば
立花隆「……長じて大人になってからはクリスチャンにならないで終わった。母はそれを終生自分の罪としていたようだが、こればかりは妥協するわけにもいかないので、不肖の息子のままで終わらせてもらった。」(送る会式次第より)
物事に誠実に向き合われている証左です。
「死」というのは、残された人にとっての
「一つの時代」(kairos/機時)が終わった瞬間かもしれません。
Memento Mori!(Remember the death)
肝に銘じて、
「力強く、おちついて、ユーモアをもって」(Karl Barth)、
「3.11」以後を生きていきたいです。
橘隆志さんが逝ってしまってから1年以上が経過しました。投稿先がわからないので、本欄を使わせていただくことをお許しください。
返信削除私が、橘さんのお母さまの送る会の欄に投稿するのは、次のつながりからです。「友の会」「羽仁もと子」「光が丘105‐13」
小さいころ、2階の橘のおばちゃんの家に遊びに行くことがありました。母は、長崎市梅香崎生まれ、鳴滝に祖母の妹が住んでいました。母は、友の会に入会し、私は、信者ではありませんでしたが日曜学校に行っていました。昭和39年に父の北九州転勤に伴い、弟は、北九州小倉の幼児生活団に入りました。私は、絵画の塾に通いましたが、そこのお嬢さんは、自由学園に通うことになりました。一昨年、母は、92歳で鬼籍に入り、一連の関係がおぼろながら点と線でつながっていきました。
橘のおばちゃん、お兄さんのご冥福を心からお祈りするとともに、昭和32年ごろの橘のおばちゃんと母の出会いを想像しています。