2010年6月22日火曜日

今週の立花先生⑩(2010.6.22)

やっと、二週連続の出席。
今日も密度の濃い時間でした。

ブログ更新の報告の後、
アウシュヴィッツ・フィールドワークのお話。
そりゃあ、行けるのであれば行きたいです。
月初は行きやすい時期ではありますが、
すべて生ものである仕事が許すかどうかです。
7/7がひとまずのリミットのよう。

その後は、

①戦争体験者の声収集班(山崎さん)、
②戦争体験者の声収集班(木村さん)、
③(a)立花先生ご一家インタビュー/
(b)立花先生父上の小説データ入力班、

に分かれてのミーティング。

しばらくお休みしていて未編入の私は、
強制的に③班に編入。

しかし、これがなかなかアツい!

(a)立花先生ご一家インタビューの仕事とは、
すでにインタビューされたもののテープおこし、
内容は、戦争体験についてのものです。

(b)立花先生父上の小説データ入力の仕事とは、
お父上が書かれたといわれる、
敗戦後北京からの引き揚げの様子を描いた私小説を、
原稿からデータ入力化していく仕事です。

どちらも普段やっているような仕事……。
それを周りの方はプロと言います(笑)

長崎でのミッションスクールの仕事に決別し、
渡中し、北京で師範学校の教師をした父・経雄さんが、
どのような思いで、北京で敗戦を迎えたか、
敗戦後の北京での日本人の様子はどのようであったか、
これは史料的価値すらあり、
一読者として大変関心を持たずにはいられないものです。

そうした経緯を持っておられ、
戦後『週刊読書人』を創刊し、
無教会・湖北聖書集会の主催を長年なされ、
そのような私小説を遺していた、という
戦後知識人としての経雄さん自身に大きな興味を抱きます。
今後の仕事が楽しみです。こうした仕事に携われることに感謝!

ご両親がキリスト教的色彩が濃い人だということを知ってこのゼミに臨みましたが、
立花先生自身が、ここまで戦中のミッションスクールや、
キリスト教に関心がある方だとはまったく知りませんでした。

今日の立花先生の一言。
「戦中の国家がミッションスクールに対してとった施策、
 及び、ミッションスクールが国家に抗してとった行動を探ることは、
 日本現代史の一端を探るにおいても重要である」

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