2010年7月6日火曜日

今週の立花先生⑫(2010.7.6)

前期の授業も今回含めてあと二回です。
思えば淋しいものです。

本日もブログ更新発表をし、
その後、立花先生ご一行の長崎訪問報告。

長崎の原爆資料館、浦上天主堂、永井隆の如己堂、
長崎大学付属病院、コルベ神父の本河内教会、
片足鳥居などなど、
本当に短い期間に意義ある場所を周られたようです。
魅力的な立花ゼミの面々に訪ねていただいて、
何だか嬉が気がします。

コルベ神父の机と立花先生のコラボもよかったです 笑
まさか、「VIPサイン帳」があるとは!
第一号がマザーテレサで、末尾が立花先生ですね(今の所)。

映画「ヒロシマナガサキ」にも出演なされた
下平さんにもインタビューされたとのことで、
本当に涙なしには聞けない内容だったと思います。

秋月辰一郎『死の同心円』、
川上郁子『牧師の涙』、
といった本を紹介いただきました。
どちらも私は知らず、
後者などは雑誌で書評を掲載したいほどです。

長崎の地形は日本では稀なすり鉢構造。
そこから「長崎円形劇場」とも呼ばれます。

思えばその小さなコロッセオで、
ポルトガル人による長崎港の発見、
キリスト教の伝播、キリシタンの弾圧・処刑、
オランダ人の渡来、中国人の渡来、
オランダ東インド会社(VOC)支店の開店、
開国に際しての五カ国(英米蘭仏露)の到来、
しばしの沈黙のあと……、原爆の炸裂。
あまりにも多すぎる出来事がおこりました。
あまりに多くの血が流れました。

本当に、何か呪われているが如くです。

知っている人はほとんどいませんが、
長崎は一度、日本の本土から離れたことがあるのです。
1580年から秀吉による九州の征伐までの8年、
長崎はローマ教皇領(Civitas Ecclesiae)でした。
占領下の日本(Occupied Japan)が7年だからそれよりも長い。
山川の日本史教科書にも載っています。

長崎を直轄していた軍事力に乏しい大村藩は、
北からの龍造寺の進撃を防ぎきれぬとみて、
長崎・茂木という要所を奪われてしまうくらいならと、
イエズス会に寄進するというウルトラCをやってのけるのです。
イエズス会側も、このようなことは前代未聞で、
相当戸惑ったようですが、長崎を大村以外に奪われてしまうと、
今まで可能だった通商もできなくなるため、これを受理します。
さすがの龍造寺もこれには手が出せません。
その後、キリシタン及びラテン(南蛮)諸国との通交はご禁制とされ、
長崎は秀吉天下の日のもとに組み込まれるわけです。

そんな長崎の「呪い」でしょうか。
市長は二期連続暴漢に襲われ、うち一人は死亡、
しばしば起こる低年齢者による凶悪殺人事件。
そう思うことが度々あります。

まあ、それは兎も角、
小説『西苑』、立花家インタビュー、
どちらもいよいよクライマックスのようです。

今週の立花先生の一言
「燔祭とはドイツ語でホロコーストである」

0 件のコメント:

コメントを投稿